月1コラム 2021/6月

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子ぬふぁ星見あてぃ 我んなちぇる親や我んどぅ見あてぃ

To reach the star When I was nothing.

何を目指して戦後から復興されたのか。

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はいさい、ぐすーよーちゅううがなびら。

月一コラムを半年ほど担当させて頂きます、首里織の職人です。ゆたさるぐとぅ、うにげーさびら。「首里城は知ってるけど、首里織は知らない」「地元だけど現物も見たことがない」という地元、沖縄の方や学生などに対しての語りかけ、という意図で平易な文章を心がけています。

他地域の皆様は写真と合わせてイメージを膨らませて頂けたら、幸いです。

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6/23は沖縄県だけの休日「慰霊の日」が定められています。

1945年戦争時、本来巻き込まれてはならないはずの、沖縄の高校生は学徒隊として、そして一般市民も含め20万人余りの方がお亡くなりになり、御霊となりました。

首里城にも日本軍が置かれ、大激戦区となり、御城も、城下町も焼け野原となってしまいました。強い光の元には深く、つらい影があります。戦争は何もかも奪ってしまいます、二度と起こしてはなりません。

沖縄の長年培われた美意識、技術はレジリエンス(回復力)の源にもなります。戦後何も無い中にも、こどもをあやす唄は歌われ、手技を持つ職人達は米軍物資の配給品を解いたり工夫したりして、徐々に復興を成し遂げて行きました。

インドネシアバリ島、沖縄と同様に芸能や手織りの伝統文化が盛んな島です。かの地でも年に一度「ニュピの日」があり、宗教的な意味合いなので沖縄とは違いますが、どちらも「静寂な、祈る日」という共通点があります。

写真は首里教会。首里の焼け野原の中で砲弾も浴びながら唯一残った建物です。その当時は、十字架と星を目標に自宅の場所を確認したそうです。(現在建物は復元され当時の十字架は展示室へ、屋外のはレプリカになります)

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あーととぅ、うーととぅ、ぐぶりぃさびら

<文章責任・東恩納朋子>

2021年05月31日