カーチーベー(夏至南風)カイ ヌユン
Think of nothing things,think of wind.
風を詠む、風を待つ、そして風と波に乗る
はいさい、ぐすーよーちゅううがなびら。
月一コラムを半年ほど担当させて頂きます、首里織の職人です。
ゆたさるぐとぅ、うにげーさびら。
「首里城は知ってるけど、首里織は知らない」「地元だけど現物も見たことがない」という地元、沖縄の方や学生などに対しての語りかけ、という意図で平易な文章を心がけています。
他地域の皆様は写真と合わせてイメージを膨らませて頂けたら、幸いです。
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梅雨明けと共に強い南風がふき、沖縄の長い夏が始まります。
14世紀、琉球(沖縄)は独立国として大交易時代、中国や日本、朝鮮、フィリピン、インドネシア、遠くはタイまで行き来し、東アジアの中継ぎ貿易拠点として繁栄を果たしていました。
沖縄の染織品、工芸品も貴重な輸出品目として重宝され、そしてかの地から食料品や香辛料、染料など数十品目沖縄に渡り、一部は那覇の市場で取引されたり、首里に納められました。
またそれを用いて首里城お抱えの工芸士はさらに洗練された品を作り上げました。色々な土地の物を吸収し、昇華して沖縄の美学にする事に長けた、うちなーんちゅ(沖縄人の沖縄言葉読み)
電気の無い時代、海人(うみんちゅ、船員の沖縄言葉)は太陽や星、風と波を巧みに読み、潮流に乗って時には200名も乗る進貢船を操ったそうです。手織りの布を纏い、御手巾(うさじ)を懐に抱えながら大海を越えました。
その後1816年、イギリスの軍艦が1ヶ月滞在し、沖縄を調査しました。「大琉球航海体験記」を記した艦長バジルホールはヨーロッパの国々にこう紹介しています。
「文化の豊かな国。あたたかい心と広い心を持つ人々が住む太平洋上の楽園」
写真は首里城から。晴れた日は遠く慶良間諸島の砂の色まで見えます。首里城に勤める士族はこの景色を見ながら琉球国の国策を練り、そして祈りを捧げていたのでしょうか。
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あーととぅ、うーととぅ、ぐぶりぃさびら
<文章責任・東恩納朋子>