Burned . But we still alive.
はいさい、ぐすーよーちゅううがなびら。
月一コラムを半年ほど担当させて頂きます、首里織の職人です。
ゆたさるぐとぅ、うにげーさびら。
「首里城は知ってるけど、首里織は知らない」「地元だけど現物も見たことがない」という地元、沖縄の方や学生などに対しての語りかけ、という意図で平易な文章を心がけています。
他地域の皆様は写真と合わせてイメージを膨らませて頂けたら、幸いです。
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2019年10月31日、首里城内、正殿含む数カ所が燃えました。
私は明け方、咳き込んで起きましたが(煙だったのだと思います)方角によっては灰が遠くまで飛んでいました。
人災が無かったのが幸いですが、人々に深い喪失感をもたらしました。
私は当日の夜は趣味にしている音楽サークルの皆と集まり、鎮魂の為の音を奏でました。私の若い友人や、お年寄りがパニックになったり、人々が首里城周辺を気もそぞろに立ち尽くす、この世の人ばかりでなく、あの世からの人たちも驚いている、そんな光景を目の当たりにしました。
周りのケアに追われながら、周辺の取材のヘリコプターの音がうるさく、手が震えてしばらくは手織りの製作ができませんでした。そんな夜には首里城が無かった時代の、私が高校吹奏楽部に在籍していた時の演奏会のDVDをぼんやり眺めていました。
私が首里高校染織デザイン科に通っていた平成始め頃、首里城建築と重なっていたはずなのですが、朝授業、午後実習で手織りの製作、夕方は吹奏楽部の練習と、暗くなる頃に下校していたので夜の静かなりゅうたん池、の印象しかありません。
例年、この時期は戦後、11/3の首里文化祭から始まり今は首里城祭、芸大祭も重なり、私達組合でも機織り体験など毎年出店し、旗頭がのぼり、年に一度のお祭り賑わいのある首里まち並みになります。
城が無くても楽しく過ごせる首里の日々を私は知っています。
そして私たち工人は、首里城を復元する事ができます。
首里でうまれる物から、何かを感じていただけたら、と皆手織りに励んでいます。
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あーととぅ、うーととぅ、ぐぶりぃさびら
<文章責任・東恩納朋子>