~ 片手さーねー 音出じらん カタティ サーネー ウトゥ イジラン 片手だけでは音はでない~ 3月 -弥生- 心地のよい陽気が続き、春が短い沖縄もだいぶ過ごしやすい季節となりました。 職場や学校等も、ひとつ節目を迎える季節です。 当組合は昭和51年6月、今月お亡くなりになった宮平初子先生が初代理事長に 就任され設立されました。 昭和60年に現在の場所に移転されましたが、並々ならぬご尽力と 大変なご苦労をされたとお聞きしています。 その「那覇伝統織物事業協同組合」は地元の方でも驚くような場所にあります。 首里桃原町の通り沿い「普天間小」(フテンマグワァー)近くの筋道に入り、急な坂道を下ると 当組合はあり、数か月、手入れしなければ雑草と木々が生い茂り、 ジャングル化してしまうのでは・・・と思うような所です。 建物の裏側は崖になっていて、崖下には川が流れ、その先には琉球王国時代から 昭和初期にかけての紙漉所跡があります。 急な坂道の途中には、湧水を共同井戸として使用していた「ウチンガー樋川」 (ウチンガーヒージャー) があり、‘’ウチン‘’とは沖縄方言で「落ちる」という 意味で、崖のことをさしているそうです。 講習を受講していた時は、こんこんと湧水で潤っていましたが、いつの頃からか そのすがたを見ることはできなくなりました。 急な坂道を下りきると、広場がありそこに組合は建っています。 ここは昔のトゥトゥンバー跡地(屠畜場 主に豚)で、地元の食を支える重要な場所でした。 今では、首里織の後継者を育成する場となり、組合員の作業場として先輩・後輩問わず 交流できる大切な活動の拠点となっています。 建物の隣には、ゲートボール場があり地元のお年寄りの憩いの場です。 ゲートボール場の脇にはバスケットボールのリングがあり、 近くの子供達でしょうか? 汗だくになりながらシュートの練習に訪れ、水分補給の水筒が空になると、 申し訳なさそうにお水の補充を頼みにやって来ます。 コロナ渦で部活動がままならない時は、近くの高校の学生達が自主練のために集まったり、 運動会前になると、学童の子供達が先生に引率されかわいらしいダンスの 練習を披露してくれたり・・・ 今では多くの人が集い、交流し技術を紡ぐ大事な場所となりました。 来月 首里染織館 suikara が新たな拠点としてオープンします。 組合としての業務や後継者育成事業も首里染織館suikaraへ移行されますが、 現組合は作業場として残る予定です。 ですが、組合としての業務はひとまず、一段落・・・ 心から、ねぎらいと感謝の想いを込めて・・・お礼を伝えたいです。 これから、首里染織館suikara に多くの人が集い、首里織を継承し技術を紡いでいく そんな場所になっていくことと思います。 文章 上地 ゆき枝 写真の看板は組合設立当初から立てかけられているものです。
2022/3月コラム
2022年03月18日