琉球の島々には、数多くの絣の柄が伝わっています。絣の技術は各産地で発展し、それぞれ独自の魅力を持った織物が織り継がれてきました。
先月のコラムでも触れましたが、首里織組合では組合員向けに絣の勉強会を行っています。今年の6月頃、御絵図について詳しくお話を聞く機会がありました。とても勉強になったので、少しこちらでご紹介したいと思います。
御絵図
「御絵図(みえず)」とは、琉球王国時代に描かれた織物の発注計画書のようなものです。王府の絵師がデザイン画を担当し、久米島や宮古島、八重山へ織物を発注する際に使用されました。発注を受け製作された織物は、貢納布として王府に納められました。図案通り織ることを要求された上に厳重な監査があり、不合格の場合は織り手はもちろん村の長や監査の役人まで罰せられたといわれています。
絣の名称
お話によると、御絵図には様々な形の絣が描かれていますが、もともと名称は付いていなかった可能性があるそうです。名付けたのは、おそらく当時の織り手たち。厳しい制度の中、絣の形から身近な道具や自然物を連想し、親しみを込めて名付けたのではないかと教えていただきました。
道具や自然物
言われてみると、琉球の絣の名称には身近なものが多くあります。星、曲尺、水、豚の餌箱、銭玉、小鳥など、当時の生活の様子が目に浮かびます。どんな想いで名称を付けたのでしょうか。租税などつらく厳しい背景も御絵図にはありますが、この絣の技術が今日まで継承され発展しています。
まとめ
御絵図の織物は現代の私たちから見ても、高度な技術で作られていることがわかります。図案集である「御絵図帳」は戦禍を免れた一部が保存されていますが、織物自体はほとんど現存していません。それでも残された御絵図から学ぶことは多く、今後も模写や再現などを通して、織物の技術、さらには琉球の美的感覚も知っていきたいと感じました。
(文・佐久原 祥)
参考文献
・那覇市市民文化部文化財課(歴史博物館).『御絵図~琉球の織物デザイン~』.2018年
・那覇伝統織物事業協同組合.『首里織の歴史と技法』.1986年(改訂2005年)
・織の海道実行委員会.『織の海道vol.04かすり~デザインの源流~』.2007年