2024/09 コラム

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琉球王国時代のにーびち文化についてご紹介しようと思います。
(にーびち=方言で婚礼儀式のこと)

大変お恥ずかしながら13年前の私の写真です。
識名園でおこなった宮廷結婚式の様子です。

首里は階級制度が厳しく
王族・上流士族・平士・平民の花嫁装束にも差があったそうです。
写真は上流士族の婚礼儀式を模したものになっています。

士族の花嫁は、にーびち行列の際
黒朝衣とよぶ着物を頭からすっぽりかぶり、
花婿の家に着くまでは、顔を隠しました。

この黒朝衣は2人の肩にかける
スディヌチャーシという儀式にも使いました。
永遠に一体となるという意味があったそうです。

 

首里織は王族・士族達が着用したものなので、
結婚式にも当時の首里織を身に纏った女性たちが
並んだのかなと想像してしまいます。

上流士族の花嫁は嫁ぎ先の家族へ引き出物を用意したそうです。
その一例が
”夫へはニービチジン(結婚用着物)、姑へは反物とフーゾー(煙草入れ)、小姑へは指輪、その他の家族へはテーサージ(手巾)”
(那覇市史 資料編 第2巻中の7 584ページ)

これらの引き出物を誰が織ったのかは
記載がありませんでしたが
もし花嫁も織っていたのならば
顔を知らぬ嫁ぎ先への着物やティサージを織る気持ちは
どんなだったのだろうと思いました。
(父親の一存によって結婚が決められていたそうです)

上流士族の娘たちは外出の機会が少なかったそうで
外の世界の多くを知らず、機に向き合う気持ちがどんなものだったのか私には想像もつきません。

琉球王国のにーびち文化を調べていたら
思いがけず首里で織物をしていた士族の女性たちへ
想いを馳せる時間を持つことができました。

文:安里美里

出典:
那覇市史 資料編 第2巻中の7 第7章 人生儀礼 第ニ節 婚姻

 

 

 

2024年09月09日